物質内電子は原子価電子、化学結合電子、伝導電子といろいろあります。物性に影響を与える電子は可動性電子と見てよさそうです。この可動性電子を物性現象を現出する演技者であるとみるわけです。ところがどこでどう間違えたのか、現在の物性論では可動性電子を自由電子の観点から理解できると解釈したわけです。この考えは可動性電子を考える場合に分かり易いしあっという間に世の中に広まりました。
しかし、電子が主体的に動けるとしたら、身近に主体的に動ける例があげられます。人間です。でも、人間は自分の意志だけで行動するととんでもない事態に出くわします。周りの環境に合わせて(自分なりに理解して)行動するということは大切なことです。映画では、監督さんほか多数のスタッフの方々がいて演技者が生きてきます。組織でも、他人をたててカッコイイ演技をさせてやる必要があるでしょう。演技者も自分がエライからだとは万が一にも思わないでしょう(煽てられると木に登る人は大勢いますが)。自分の意志で動いているのか動かされているのか分からなくことありませんか?
物性論以外の世界は周りの世界と関連を持たせて物事を処理するということが当たり前に行われています。その処理の手際の良さはただ感心するばかりです。こんなに世の中は進歩しているのに(立派な手本があるのに)、現在の安直物性論は、旧態依然の自由電子をベースとしたスタイルを頑なに守っています。
こんな馬鹿げた自然観はやがて改められるはずです。多分真っ先に産業界がそれを証明するはずです。産業は目に見えた形で進歩しております。旧態依然のスタイルで新規機能デバイス開発ができればいうことはない。しかし、機能予測は旧態固体物性論からかなり難しいので、開発速度は実験速度に依存します。予測能力が劣った分だけ開発速度は遅れるはずです。デバイス開発戦争の場合遅れをとってはなんにもならないのです。
ここで述べている提案はあくまで私独りで考えだしたものです。ここは、独断専行がまかり通る世界(この悲しい言葉をつかいたくない。本当は役立ちたい)です。世の中独断専行がまかり通るほど甘くはありません。しかしです。時には世の中が間違っている場合もまれにはありま